名前 里山クラブ
年齢 16歳
居住地 群馬県 邑楽郡 千代田町
世帯主 主宰者 川原 幸司 75才 )、川原 幸子(73才)
出身 私 三重県 鳥羽市 (平地林整備業)
家内 大阪市 (主婦業兼平地林整備業)
出勤日 1月1日〜12月31日 の毎日
雨の日は専用作業場で、看板を描いたり、イベントの準備・
道具の手入れ等をしています。いつおいでもおいでください。
家族 約70名(少しすくなくなりました)
ゼロでスタートいたしました。
職場 フィールド 町内4箇所 約22ヘクター
・なぜ生まれたのか ・・・・・・・・・・・・・・・ (長くてすみません)
里山(平地林)は、昭和30年代までは有効に管理されていました。それは里山が、
生活上に必要不可欠の存在であったからに他ありません。 田畑の肥料として、牛
馬の飼料として、炊事の燃料として、住居等の建材として等経済的要請に対応していました
。
しかし、化学肥料や耕運機の普及、電気機器等の普及、生活様式の変化や輸入材の
増加等々により、里山(平地林)の経済的必要性が限りなく逓減していきました。
里山に人が手を加えなくなると、急速にヤブ化し荒廃します。
まず篠竹等成長の早い植物や蔓性植物が爆発的に繁茂し、林内には日光が入らなくなり、
落葉の分解も進まず地力の低下となります。
当然植生に大きく影響を及ぼします。
一方、大量消費時代が急進行し、其のことは同時に大量のゴミの発生になりました。
、行政(社会的)の対応遅により、それらのゴミが住宅地に近い場所、即ち放置された里山に
すてら続けられました。
必要性が限りなく低下した里山平地林は、土壌が掘削・販売され跡地は、廃棄物の置き場
になったり乱開発的な開発で里山が消えはじめました。
環境悪化を何とか解決しようとしても、 この様な状況になると、個人的対応がなかなか
困難で、行政に応援を求めることになりますが、当時は「所有者責任論」の大壁が立ちはだか
るだけで、一層気力の減退を招く結果となりました。
農家の兼業化・高齢化は、ますます人を「やま」から遠ざけるばかりか、バブル期に突入
し、多数の所有者移転の現象となりました。
所有者が非居住者になると、里山の状況がますますわからなくなり、荒廃の進行と、保
全が経済性だけで決まることとなりました。
縄文の昔から存在し、明治期は今の10倍もあった平地林は、今まさに消えようとして
います。 この平地林は、いま失うともう2度と回復は不可能です。
私たちが整備している平地林は、すべてが民有林でその99%が個人所有ですが、地域全体
の宝でもあるのです。したがって公的に保全をするとか、ナショナルトラスト運動で買い取
るとかの方策をすぐにも講ずる必要があるわけですが、現状はそこまでの盛り上がりはあ
りません。今私たちに出来ることは、地域住民や周辺住民に平地林は必要だと思う気持ち
を醸成することだと考えました。 誰も近寄らないような環境では、保全は絶望的と申せま
す。所有者個々の経済的有用性は低下しても緑の環境の必要性(社会的必要性)は、
より強くなってきています。
その為には、投棄されたゴミを除去するだけではなく、同時に誘因となった平地林の荒廃
を適正な管理状況にしなければなりません。
しかし、下草刈、助伐、間伐などのためには、一定の技能・経験が必要です。又対応面積
から考て、多くの作業時間が必要です。
つまり平地林管理の専門組織がどうしても必要との考えに至りました。
しかし、その組織は、自主活動ですので当然報酬ゼロで、その上費用は自己負担での常
時活動が義務的となります。 つまりボランティア活動と言うよりも、自らが林や森の中での
活動を楽しむ活動(フォレスター活動)でなけねば永続な無理との思いに至り、里山クラブを
発足させ活動を開始いたしました。
尚、フィールドは全て私有地(地権者約200名)で、借地(文書、口頭)しています。整備管理を
無料で行うことを条件に、自然保護や青少年の体験学習の場、人々の散策の場などと
して開放してもらうこととしております。
・里山活動の方向
・活動具体的内容
・私と家内は基本的に毎日活動です。
・事前にご一報ください。時間をあわせます。
・使用する道具は作業によって変わります。
お手持ちがなければ、お貸し致します。